さあ今回は皆さんお待ちかね、天王寺璃奈のお当番回です。
それではさっそく、第6話「笑顔のカタチ」の感想になります。
第6話『笑顔のカタチ(⸝⸝>▿<⸝⸝)』感想
天王寺璃奈の課題として表現されてきた「無表情」。
もはや「無表情キャラ」としてそういう個性を獲得していった感触もあるので、正直「これはこれでアリ」だなぁと思っていました。
しかし璃奈本人にとって、自身の無表情というのは思ったよりも重いコンプレックス、ともすればトラウマでさえあったようです。
自身の無表情故にコミュニケーションに自信が持てず、交友関係を失って孤独に生きてきた璃奈。
「変わりたい」と願う彼女が、この虹ヶ咲学園で出会えた奇跡が『スクールアイドル』だとしたら、そのきっかけは屋上での新生・優木せつ菜の魂の叫びに違いなく、高咲侑をはじめとした同好会の雰囲気にほかならないでしょう。
しかし失敗経験を持つことに対して「変わりたい」と挑戦することは勇気がいります。
出会いというチャンスを掴むためには前を向いていなくてはいけません。
璃奈がその姿勢でいられたのは、やはりあの人のおかげでしょう。
そういう意味では、つまり彼女にとっての大きなきっかけは「楽しいの天才」ならぬ世話焼きの天才、宮下愛との出会いこそだと思います。
天使と天才
急に話しかけてきた初見の上級生に対し「怖い」と感じるりなりー。
素直でよいです。愛さん見た目はギャルだしね。
愛だけはりなりーの表情を読み取れる描写は4話からもありましたが、なんと初対面のときからりなりーの一瞬の表情を読み取っています。りなりーの心情に返事してますからね。
愛さんマジでエスパー。
しかし愛も本当に心を読むエスパーではありません。
本人や周りも気づかないような、極小の変化を表情から読み取れるのでしょう。
もはや能力といっていいかもしれません。
愛はああみえて、周りに明るく振る舞う一方、すごく繊細にみんなのことを見ていますよね。
特にりなりーに対してはなんでしょう、相性がいいのかもしれませんね。
「みんなを見ている」で言えば冷静なエマや彼方、それこそ侑の存在意義ですらありますが、こと天王寺璃奈に対しては愛の理解力が飛び抜けていますよね。
璃奈もコミュニケーションのネックが、「表情で伝えられない」ことなので、超人的な能力で表情を読むことができる、もしくは察することができる愛にはさぞ懐くでしょうね。
そこに信頼が生まれ、更に愛に見せる表情はわかりやすくなっているのかもしれません。
天王寺家訪問時、愛が天王寺夫妻の在宅時間を把握していることからも、何度も家に遊びに来ていることがわかります。ほほえまし……。
変わりたいと叫ぶ
「友達になりたい」「今度こそ変わるんだ」と意気込み、自らジョイポリスでのライブ出演を申し出る璃奈。
トラウマやコンプレックスに対して立ち向かえるのは本当に素晴らしいですね。
「自分を変えたい、変わりたい」と懸命に頑張る少女、これこそラブライブ!の真髄です。
しかし、人間そう簡単には変わりません。
「できないからやらない」はナシだから。
立派な心がけです。泣いちゃう。
努力して努力して努力して、だけどもたった1度の失敗で折れてしまう。
トラウマだから。今までそうだったからです。
友達になりたい、ただそれだけのことが、表情が伴わないだけに伝えられません。
思えば、今回の回で璃奈は「気持ちを表情に出す特訓」は1度もしていないんですよね。
璃奈がしていたのは「スクールアイドルとしてライブに出る」ための特訓です。
なぜなら、璃奈にとってスクールアイドルは「表情が上手く出せない自分でも、歌で誰かと繋がれる」手段であり希望だからです。
自分を変えるためにひたむきな努力をしている、「今の自分なら」と、何度も失敗し続けてきた「友達になりたい」を投げかけようとする璃奈。
しかし、今回もまた自身の無表情さに打ちのめされてしまいます。
当然、根本の原因である「無表情」を克服するための努力はしていませんから。
そして同好会メンバーの呼びかけにより、気付きを得る璃奈。
「表情を見せなければ話せる」。
これが「りなちゃんボード」の由来となったのですね。
そう考えると、虹ヶ咲初期の天王寺璃奈に対する感想とは少し違ってきます。
「恥ずかしいから」ボードをつけているのではなく、
「心情を正確に伝えるために」ボードをつけているんですよね。
表情と心情のギャップによるコミュニケーションエラーこそが、璃奈のトラウマの正体ですから。
まあそれはスクスタとアニメ版の違いでしょうね。
ツナガル心と笑顔
こうして整理された課題に対しての解決として授けられるのが、アニメ版の『りなちゃんボード』です。
6話で描かれた璃奈の課題とは
「表情で伝わらない」→「スクールアイドルなら歌で繋がれる」
「スクールアイドルとして頑張っている」→「でも表情で伝わらないから無理だ」
「りなちゃんボードで表情を手に入れる」→「スクールアイドル(歌)で繋がる」
というものでした。
彼女にとって『スクールアイドル』というのは、あくまで手段でしかないんですよね。
いわば「表情」の代替手段としての「歌」です。
しかし「変わりたい」と願った璃奈が、初めてのステージで手にしたものは、自分自身の本物の笑顔。
本当に「繋がった」のは璃奈の心と表情です。
ボード越しに見える一瞬の笑顔のカット、マジで美しすぎるんですけど……。
©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
何が尊いって、おそらくこの一瞬の笑顔は、璃奈自身も気づいていないという点です。
璃奈は自分が「笑える、笑顔になれる」ということを知らないんですよね。
それを可能にしたのが、手段であったはずの「スクールアイドル」であり、宮下愛であり、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会なのです。
つまりそう考えると、結果としてですが
「スクールアイドルで皆と繋がる」→「笑顔になれる」
という璃奈のコンプレックスの根本を解決する解になっているんですよね。
顔にボードをして表情を見せる、というのは強烈なキャラクター性ではあるのですが、やはり個人的には、いつか心の底からの笑顔を見せる「スクールアイドル天王寺璃奈」が見たいですね。
え?というかそう考えればツナガルコネクトのMV最高すぎるんですけど?
とくに照れ笑いの表情が可愛すぎます。
まとめ
そんなこんなで第6話「笑顔のカタチ」本当に最高でした。
なにが良かったかといえば、天王寺璃奈最大の個性であった「りなちゃんボード」の回収の仕方ですよね。
アニメ版ではその存在理由がまるで違ううえに、自然に登場しました。
最初は「ボードで顔隠しているキャラ」なんて奇抜すぎてネタ枠扱いでしたが、今回の6話を見た新規勢は全員璃奈推しになったこと間違いなしでしょう。
というか素顔の璃奈は歴代シリーズの中でも屈指の美少女だと思います(しかもその笑顔は誰も見たことがない)。
とはいえ繰り返しますが、ボードを個性とする方向で行くか、ボードなしで笑えるようになるのを目指すか、そこも璃奈的には注目ポイントですね。
ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会感想記事
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