千束の持つ才能は、それを見出した吉松シンジによって「類稀なる殺しの才能」と称され、それが世界に届けられることを望んでいます。
しかし、千束がこれまで披露してきた絶技は本当に「殺しの才能」なのでしょうか?すごく引っかかります。同じく疑問を抱いている方も居ると思います。
今回は千束の持つ才能が一体なんなのかについて考えていきます。
弾を避けるのは「殺しの才能」か
まず大前提、錦木千束には他の人にはない優れた才能があります。
なぜなら千束は、才能を持つが環境等の理由でそれが発揮できない者への支援を行う「アラン機関」に選ばれたアラン・チルドレンであることが明かされています。
しかし、千束が見出されたのが何の才能であるかは詳細には語られておらず、また千束自身も知らないフシがあります。
(「自分の才能がなにとかわかる~?」等。まあ薄々気づいてはいるが誤魔化している可能性もあり)
しかしこれまで本編を見てきた我々視聴者は、千束の持つ常人離れした「能力」を知っています。
すなわち、至近距離からでも弾丸を避けるというありえない神業です。
©Spider Lily/アニプレックス・ABCアニメーション・BS11
あえて「能力」と書きましたが、しかしこれは物理法則を捻じ曲げる超能力でもなんでもなく、タネも仕掛けもある「技術」です。少なくとも作中では。
この千束の技能を評価している楠木曰く、「卓越した洞察力で相手の射線と射撃タイミングを見抜く」力です。
つまり洞察力と動体視力。正確にはそれで見切った射線から身体を外すという反射神経と身体能力ですが、このフィジカルの方に関しては千束の持つ特殊な人工心臓が作用していると思っています。
つまり僕の考えでは、千束の持つ生来の才能は洞察力と動体視力。
千束はこれを弾避けに「使っているだけ」です。
でははたしてこれが「殺しの才能」と言えるでしょうか?
普通に考えれば、洞察力と動体視力がよくて、プラス反射神経まで加われば大抵のスポーツでは有利なはずです。
卓球とかフェンシングとか無双できそうですよね。
しかしシンジは千束の持つものを「回避の天才」や「見切りの天才」「洞察力の天才」とは呼びません。
これが「殺しの才能」っていうのはちょーっと飛躍しすぎな気もしません?
吉松シンジ目線での話
とはいえ、先程の話は千束とシンジの関係や出会いの経緯を推理してみれば意外と納得のいく筋が見えたりします。
まず、シンジはいつどこで千束の才能を目にしたのか?
おそらくリコリスとしてバリバリやっている時(6~7歳)の任務中か訓練中の様子を目撃したからだと思います。
なぜシンジが機密組織DAと接点があるのかというと、それはもちろんミカ繋がりです。
あとアラン機関の手はDA上層部に伸びているぽい描写もありますが、おそらくこの件に関してはミカがパイプでしょう。
つまり、リコリスとして活躍しているということは、千束がその才能を「殺しに使っている様子」を目にしたからだと思います。
例えば千束がリコリスではなくバリバリのスポーツ少女として発見されていたら、その道で支援されたかもしれません。
千束が過去に殺しを経験していたかどうかについては、僕はしていたと考える派です。
それについてはこちらの記事で書いています。
そして本編でも言われている通り、アラン機関は殺しを容認しています。
勘違いしてはいけないのが、殺しを容認しているが、推奨しているわけではないこと。
殺しをヨシとしているのは、それがその才能の「最大限活かされる使い道」の場合でしょう。
つまりより正確に言えば、千束は「殺しの才能」を持っているわけでも、真島が「テロリストの才能」を持っているわけでもなく、
それぞれの才能が「殺し」と「テロ行為」で使われることが最も世界に届く(=最大限行使される)ことだと思っているから。だと思います。
だからリコリスである千束を「類稀なる殺しの才能」と呼ぶんです。
その才能が殺しに使えるからと言って、無差別に民間人を殺しまくるシリアルキラーを世に送り出すわけではなく、あくまで治安維持活動としての大義を持つリコリスだからこそ、その力は(他の使い道よりも)世界に届けられると考えたわけです。
「殺しの才能」は「リコリスの才能」と言い換えてもいいかもしれませんね。
冷静に考えて、殺しの才能なんてものは技術よりもメンタルのほうが重要だったりしますよね。その最たる例が千束なんですけど。
確かに千束は射撃戦において対面性能は最強でしょうが、やはり四方を囲まれて同時に撃たれれば避けられないでしょうし、遠距離の狙撃なんかにも弱いでしょう。
メンタルを含めるなら、隣りにいる女のほうがよっぽど殺しの才能ありますよね。
命令に背いてまで仲間を助けるために敵を蜂の巣にするクレイジーガールです。
というかリコリスであればメンタル面はDA教育によって育まれているはずなんですよ。だからこそシンジは最初に見た千束に惚れ込んだわけです。
まとめると、アラン機関(シンジ)的には、千束の類稀なる力はスポーツや人助けなんかよりも「殺し」に使う方が世界やその才能にとって有用だよーってことです。
シンジ視点での千束の見方を考えるとまあ納得できなくもないですね。アラン機関がかなりぶっ飛んでる組織だということをふまえれば。
見えてきたメインストーリーの核
この違和感の正体を察している方も多いでしょうが、千束の持つ力について有耶無耶なのは、それを断定しているのが吉松シンジただ一人だからです。
そう、シンジだけが千束の持つ才能を「殺しの才能」だと呼んでいます。
シンジが呼んでいるだけ。
そして、それは弾避けのスキルのことを指しているとはまだ断定できないこと。(流石にこれは確定だと思いますが…)
更には千束自身とその周りも、弾避けスキルのことを「才能」とは呼ばないこと。
これらが千束の才能周りを不明瞭にしています。
が、僕の中ではこの「才能」こそ本作品の大テーマだと考えています。(別記事で詳細を書く予定)
ここまできて今更言うまでもないですが、この物語はこの「千束の才能」をどう扱うかを巡ってストーリーが構成されています。
アラン機関は千束の持つ「殺しの才能」が世界に届けられることを望んでいます。
(世界に届けられる=世間に公表されること、ではなく世のために使われることだと思われる)
むしろそのために本来死にゆく千束に人工心臓という支援を施した。
しかし千束は支援によって生かされたことで、皮肉にも誰かの命を奪うことに抵抗を覚えるようになる。
支援した才能が世界のために使われていないので、その「使い道」を(アラン機関の思う)正しい方向に導こうとしている。
これが松下やジン、真島をけしかけて千束に殺しをするように誘導してきたこれまでの話ですよね。
つまり、「才能の使い道は誰がどう決めるのか」がこの作品のシンプルなテーマでしょうかね。
「優れた才能は最大限世界に示されるべき」というのがアラン機関の信条です。つまり才能を責任だと思っている。
それは人のものではなく神から与えられたものなのだから、それを行使する責任がある。
うーんこう聞くと宗教じみてますけど、割りと欧米的な考えでもありますよね。
それに対し「殺し以外の道」で自分の力を役立てようとしている千束。
このテーマでは既に自分の中で答えを出している感じがしますが、面白い構図となっているのが次の2点。
・アラン機関は支援した天才に「使命」を与えているらしいが、千束には伝わっていないこと
本来はアラン機関との接触は禁止されているはずなので、多分親とかにふわっと伝えてるんでしょうか。
この仕組も実はかなり闇が深そうなんですが、ともかく千束のケースではそれはミカに伝えられたはずです。しかし……。
・千束が相手を殺すことなく無力化できているのは、実はアラン機関製の人工心臓のおかげであるということ
皮肉ですが、方向性を矯正したい親にやり方の手綱を握られている状態です。
そしてこれが9話以降の話で展開されていくと予想します。
大穴として、流石にない……とも言い切れない?
大本の考察議論ですが、実はある可能性を最初から省いて始めています。
8話まで見てきて流石にもうないだろうと多くの人が切り捨てた予想だと思いますが、そう
シンジの言う「殺しの才能」が千束のまだ見ぬ別の能力だったパターンです。
うーーーんまあ流石にないと思うんですが……マジマサーンの異様なタフさとスマホ縦置きギャグシーンで盛り上がっている間はワンチャン考えていましたが、
それも千束の弾避けと同じくタネも仕掛もある「技術」であると断定していいでしょう。
いやタフさに関してはマジでなに????ロケランノーダメは流石にちょっと……。
つまり千束がまだ見ぬデストロイヤー能力を封印している可能性はない。というかこの世界観において「超能力」的なサイキックパワーは存在しないと思い……ます。
と、断言しきれない理由が実は1割ほどあります。
正直僕も千束や真島などアラン・チルドレンが持つのは卓越した「才能」であって物理法則を捻じ曲げるほどの「超能力」なんかではないと思っています。
しかし、本編で描かれている描写の中で、「そう」としか思えない不可思議な事例が実は2つもあります。
それが
・折れた旧電波塔を支える謎物質
・明らかなオーバーテクノロジーとされる千束のパワード心臓
この2つです。
後者に関してはまあ多少言及されていますし、ギリ納得できます。
でも前者に関してマジで不明。だって現に爆破されてますから。
それが地面に倒れることなく支えるのって……どうなんですかね?
長くなってきたので今回はこの辺で終わります。